学 園 催
1stアルバム解説・制作記
1stアルバム『陰陽師』の製作から
未来へ向けての全ての歴史を綴っています
本アルバムは、陰陽師の都「京都」を舞台に
「占い」「呪い」に纏わる物語をPOPにまとめ
そのゆかりの地を巡礼するコンセプトアルバムとなっています。
- 2007.05.05
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『貴船山』
この曲は「補助」というテーマに基づいて構築されている。
どれだけ才能があり、成功を収めたとしても、
ぞれは自分一人の力ではない。
周りの多くの助けがあっての事である。
先人達の優れた智慧を頂いて、我々は生きているのだ。
自惚れに対する自省を促した歌曲である。
パラシュートをつけ、貴船の山頂から飛び立つ様は、
徐々に腰をひくく、謙虚になっていく様を表現している。
アルバム本編のラストを飾るに相応しい爽快な曲調。
謙虚なる人は、やがて悟りを得て、
この曲調と同様の爽快な世界へ導かれるであろう。
- 2007.05.19
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『ボーナストラック』(13〜99)
この曲は元々「お祓い用の楽曲」として制作した。
13トラックから99トラックまで纏めて1曲として考える。
邪気祓い、精神統一、環境音楽としての役割に充てている。
それ故に「おまけの曲」であるにもかかわらず、
実は本編の12曲より内容の深いテーマに基づいて作られている。
この奇怪な曲調の根底には様々な理念が込められている。
この一曲で一冊の書物が書ける程、語りたい事が沢山ある。
この曲は「天上界」をテーマにしている。
天上界とは、ある一説によれば、
「人間の心に囚われのない自由で平安な状態を表した比喩表現である」
と示されている。
天上界というのは、どこかにある別世界の事ではなく、
人間の実生活の心理状態の移り変わりを表した比喩表現だという考え方である。
ならば皆さんもこれまでに幾度となく天上界を体験しているのだ。
さてこの曲を雅(みやび)と捉えるか?
または奇怪と捉えるか?
それは皆さんの感性に任せるが、
要は天上界にはそういった美醜を区別する概念もなく、
何の囚われもない自由な流れが淡々と存在しているだけなのだ。
この曲は雅でもなく奇怪でもなく、
ただあるがままに自然に存在しているだけなのだ。
しかし人間はそういったものに、先入観を持ち、固定概念を掲げ、
これは良い、あれは悪いといった区別をつけ続けてきた。
だが天上界にはそういうものはなく、
欲と我が存在する事もなく、
自と他を比較する事もなく、
美と醜を差別する事もなく、
あるがままを素直に捉え、
あるがままに自由である。
終始BPM60という時計の秒針と同じ速度で演奏されるこの曲は、
聞けば聞くほど、その一定のリズムにウトウトと心地よく、
あなたを精神界へと導くであろう。
99トラックから後は、
同じ唱文が延々と繰り返される。
これは聴く人の心を無心に近づける作用を図って制作した。
まさに経文と同じ役割を受け持っていると考えて頂きたい。
そしてあなたの心の囚われが「無」になった時、
この曲の本当の価値を感じる事であろう。
- 2007.07.07
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本日7月7日は「貴船の水祭り」である。
京都北山の貴船神社にて執り行われる。
水の恩恵に感謝を捧げ、水徳をたたえ、恵みを祈る祭である。
本アルバムにも収録されている「貴船山」がまさにその場所である。
さらに京都では夏に入ると、祇園祭、大文字五山送り火など、
様々な祭が次々に開催される。
本アルバムでは、そういった祭シーズンの京都情緒を一挙に楽しめる内容となっている。
そういう意識の中で本アルバムの歌曲に聞き入れば、
どこか懐かしい、良き思い出にふれるような不思議な空間にたどり着けると思う。
- 2007.07.14
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現在、京都では祇園祭の宵々々山が執り行われている。
これは祭の一番舞台でもある山鉾巡行の三日前夜を意味する。
今、クライマックスに向けてヴォルテージが益々高まっている。
本アルバムにも「祇園祭」という歌曲がおさめられている。
ドラムのリズムは終始一定で、定期的なリズムを生み出している。
本家の祇園祭のお囃子も一定のリズムで、
聴く者をトランス状態に導くようである。
定期的なリズムというものは、人々を快に向かわせる何かがあると思う。
- 2007.07.21
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先日17日に祇園祭・山鉾巡行が執り行われた。
祇園祭とは京都・八坂神社をはじめとする牛頭天王を祀る神社の祭礼の事である。
本アルバムの歌曲「祇園祭」は、本家のお囃子にくらべ、
ヘヴィーでアップテンポなものになっている。
作曲当初は本家と同じようなスローなリズムで構成された歌曲であったが、
曲調的にあまりにもそのまま過ぎると感じたため、
あえてこのような新しい形で表現しているのである。
とはいえ----定期的なリズム感・日本の夏・祭の情景----
といった雰囲気は如実に再現されていて、
違った角度から祇園祭を楽しむという趣向の作品におさめられている。
「夏のお供」に如何であろう?