学 園 催

1stアルバム解説・制作記

1stアルバム『陰陽師』の製作から
未来へ向けての全ての歴史を綴っています
本アルバムは、陰陽師の都「京都」を舞台に
「占い」「呪い」に纏わる物語をPOPにまとめ
そのゆかりの地を巡礼するコンセプトアルバムとなっています。

カテゴリ『コンセプト:陰陽師』 5件の記事を新着順に表示しています

2007.09.03
九月がやってきた。
九月といえば台風の季節でもある。
台風の進路というものも予測が難しいものである。
現代になってこそ様々な予測方法、
そして防衛対策等が進歩してきているが、
文明がまだ途上であった昔は言うまでもなく、
台風が来るという事が今より格段に一大事であったにちがいない。
その昔、陰陽師は占いや情勢の予測等、国家に纏わる業務に携わっていたわけだが、
その一つに天気予報も含まれていた。
ならばとりわけ、この季節には陰陽師が大活躍したにちがいない。
当時の台風情報は今以上に重要視されていたであろう。
もしかしたら気象予報をいう枠を超越した、
何かカリスマ的な存在として注目されていたのかも知れない。
2006.05.15
(前回つづき)
前回は晴明の数々のミステリアスな伝説についてお話したが、
どんな物語にも作りどころや美化があるのは付き物である。
完璧な実話の伝説などない。
やはりどこかに偉大さを誇張する言葉や装飾を持たせるのが、
伝説作りの定番と言えよう。
だから晴明の伝説にも多少の美化はあると思う。
私はそう思う。
あなたもそうお思いであろう?
しかし、だからと言って全てが全て作り話であるとは思えないのだ。

というのも当時は呪術が国内情勢を左右し、
科学ではなく呪術が主流の時代だ。
科学力がなかったこの時代は、呪力こそが全てであった。
そう、何をおいても先ず呪術が優先される時代--------------
現代ならコンピューターで行う事であっても、
当時は全て「まじない」任せだったのである。
事件の捜査も呪術、天気の予想も呪術、
そして医療のかわりに呪術だ。
呪術だらけだ。

そうともなれば当然、当時の人間の感性も、直感力も、霊感も、
そして脳機能やその構造も、細胞や神経伝達も、
身の回りで起こる現象も、何もかも今とは大きく違っていたはずだ。
現代人からみれば超越した出来事も、
当時はごく当たり前の出来事だったかも知れない。
不思議な事も不思議に思わなかったはずだ。
人間というものは文明が無ければ無いほど、超能力的な力が発達するのだ。
逆に言うと、現代人は文明が発達したがために、
生活が便利になり、そういう超能力が退化してきたのだ。
そういった事全てを総合してみると、
晴明の伝説も当然起こり得る事だったかもしれない。
近からず遠からず、伝説で伝わってるような出来事が起こっていたに違いない。
未だに「晴明伝説」として根強く語り継がれている事が、
何より証拠ではなかろうか?

「陰陽師は国会の役員のようなもので、
以外と公的な職業なのだ」とお話した事を覚えているだろうか?
公的で地味な職業・・・・
晴明だけは、それにはあてはまらないようだ。
この晴明だけは、特別な存在だったのだ。
まさに伝説の如く、優雅に、妖しく、美しく、そして時に冷徹に、
神秘的な存在として他の役員からも一目置かれていたのだ。
当時の晴明は、現代の最先端デジタル技術以上に、
ハイテクな存在に映っていたにちがいない。

さらに晴明は享年85歳。
この時代では飛び抜けた長寿者である。
当時の常識から見れば、不死身とも思える驚異的なものであっただろう。
不老不死に纏わる術を身に付けていたのだろうか?
陰陽道一筋に生きてきた報いなのだろうか?
その真相はわからないままだが、とにかく、
何から何まで、ただ者ではなかった晴明-------
その晴明を慕って、今日も京都・晴明神社に多くの観光者が訪れている。
現代の陰陽師ブームの仕掛け人は、
まさにこの『安倍晴明』である、と言えよう。

『 安倍晴明 物語 』( 完 )
2006.05.11
(前回つづき)
平安京の役職に就いて徐々に驚異的な能力を発揮し始める晴明。
それでは、その一端をここで紹介しよう。

先ず予知能力だ。
晴明は、天変地異を誰よりも早く予知し、都へ報告。
これにより何度も国を救ってきている。
こういった力は他を大きく抜いて抜群に素晴らしかった。
そして他の陰陽師達から術比べを挑まれるも、
悉く勝利をおさめるに至る。
また藤原道長にかけられた呪いを見破り、
呪い返しを決行、怨敵をあやめ、道長を救うに至った。
そして日常生活では式神を召還し、家事をさせる事もあった。
だから晴明の留守中も安倍家の門がひとりでに開閉していたり、
誰もいない部屋から掃除する音も聞こえてきたという。
さらにはライバル陰陽師にあやめられた父を、
一条戻橋で生き返らせたという話も伝えられている。

どれをとってもミステリアスなエピソードばかりだ。
現代の科学力ではとうてい解明できそうもない。
そして現代の常識から、あまりにもかけ離れている。
だからこの話を読んで、「作り話だ」と思った読者もいるだろう。
確かにその気持ちはわかる。
もちろんこれらの物語は晴明伝説を盛り上げ、より神秘的にするために、
作られた部分もあるだろうし、
そして美化された部分もあるだろう。
だが、全てが作られているとは思えないのだ。
晴明の起こした奇跡は現代の常識からすれば、起こり得ない事のように思えるが、
一概に作り話であるとも思えない節がある・・・・それは・・・・・(次回へ)
2006.05.05
(前回つづき)
『 安倍晴明 』 は西暦921年、
現在の大阪・阿倍野区で誕生した。
その晴明が呪的な能力をあらわし始めたのは、
なんと幼い頃からだった。
幼少の頃より京都に上京し、
陰陽道の師匠・賀茂忠行の元で修行を積んでいた。
この頃から既に鬼神を見る事が出来たというのだ。
誠に凄まじい事である。
そして超越した好奇心も持っており、
ムカデや毒蛇などの 蠱(こ) を好んで口にするという事もしばしばあったという。
この事からも常人を超えた感性の持ち主であった事が伺える。
その晴明が正式に陰陽師として役職に就いたのは、
大方、西暦958〜960年くらいの間だと伝えられている。
そう、ちょうどその頃 平安京では、
魑魅魍魎や、怨霊、そして 物の怪(もののけ) が騒ぎをたてており、
どうにも収まりがつかない状況だった。
そんな時、若くして最先端技術をもった晴明のもとに、
都の貴族より直々に依頼があったのだ。
そして晴明は快く貴族の相談にのり、
そして、加持----祈祷----霊的制御----呪詛回去----等の業務に携わった。
この時が晴明の本格的な陰陽師デビューだと伝えられている。
さらにこの頃から晴明の本当の実力が発揮され始めるのだ・・・・・(次回へ)
2006.05.01
コンセプトシリーズ第2弾。
今回は、いよいよ本アルバムのタイトルにもなっている、
『陰陽師』について解説しよう。
陰陽師とは、一体いかなる存在なのか?
あなたは、どうお考えであろう?
おそらく呪術師や占い師といったような、
認識ではないだろうか?
大方正解なのだが、
実際には伝説で語り継がれてるような、
あまりに呪々しく優雅で謎めいた存在ではなかったようだ。
では実際の陰陽師がどのような職業だったかお教えしよう。
実は当時の陰陽師は宮廷内の役員の一人だったのだ。
つまり今で言う国会の内閣のような存在だ。
統計学や占いにより国家の情勢を鎮め、
安全を守るという業務を行っていた。
その他にも天文・気象観測ならびに、その報告、
つまり気象予報士の役割も担っていた。
またカレンダー(暦)の制作や、
さらには時間を計測し正確な現時刻を国に通知する職務も行っていた・・・・・
しばしば伝説的に語られる陰陽師。
そのため美的で神秘のイメージが強いが、
実際は上記の解説通り、以外にも公的で堅実で、
わりあい地味な職業だったのだ。
だが!その中には、ずば抜けた呪力を持ち、
そして恐るべき現象をおこし、まさに伝説通りの奇蹟をみせた人物もいた!
そう、みんなもご存じの「 安倍晴明 」である・・・・・(次回へ)




カテゴリ一覧